05.エッセイ 左手の写真家 佐藤 ケイジュ 書き下ろし

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写真家 佐藤 ケイジュの「脳卒中闘病記」

5.序章(ついにその時が来た)

街頭の点検が済んだらそのまま家に帰れるよう準備を整えるつもりでトイレに座ったところまでは何ともなかったが、その直後に感じた違和感。

「あれ、体が曲がっている」

そのまま体が右に傾き、その曲がった姿勢を直そうとしたのだが、反応しない。

力がないのです。自分のこの右手にも右足にも。

ここで初めて気がつき、少々の焦りを感じました。

でも、この時点で悲観するような事になるとは思っていなかったし、今の状態も“何かの異常”で有ってすぐに何とかなると考えていました。

さらにそう有って欲しいと願っていたのです。

動く左側でもがいてトイレを出たが、ドア部分ではつかまる箇所があったのですが、動けるのはそこまででした。その場所に倒れこみ、抵抗の動きが止まったのです。

小さな子供を連れて出かけた時に感じる人は多いのでは無いでしょうか?

起きている子供はおぶっても肩車をしても大した問題では無いが、寝てしまったら体重以上に重くなるので大変だとは言われます。自分の体でも同じ事なのです。

私の体重を仮に70kgとした時に、起きているのが35kg、寝てしまっているのが35kg。少々重くても35kgのバーベルならば動かせる人はいるでしょう、しかし片手という条件ではいかがでしょうか?

私は自分の体ながらどうする事もできずに、倒れこんだままで身動きができなくなっていたのです。
さらに、まずい事に声もうまく出ない事に気がつきました。

ろれつが回らない状態なので、やっと声が出るという感じで誰かに助けを求める事もできないのです。
事務所から出たらそのまま家に帰るつもりがあったので、明かりもトイレ以外は消してしまった。

最後の明かりもトイレから這いずりでるときに壁のスイッチに触れてしまい、消えてしまったのです。

ほんの数分前まで、全く予期しなかった事ではあるが、暗がりの中で倒れている私なのです。パニックになっていない事が不思議なくらいなんです。

暗闇の中で、いや暗闇だからこそ皮膚感覚として自分の置かれている状態を理解しようとしたが不思議な感じに気がつきました。何が不思議かというと右手が2本ある様に感じるんです。あり得ないこの状況を特段不思議と感じていない自分が居るのです。その事が不思議といえば不思議だし妙といえば妙だった。

ドアの向こう側でエレベーターのドアが開く音が小さく響いている。「誰かが来る・・」。足音が私の部屋に向かっている様だ。
事務所にしているマンションの役員になっている関係から、夜間照明の取り付け位置の再確認をしなくてはいけなくなったのですが、その作業が今日だし、暗くなったこの時間帯なのです。
ドアがノックされる。「助かった。」

初対面の街灯の業者の人に助けられ、お礼を言っている自分が見える。
いや、お礼の前に助けてもらわなくては何も始まらない、その肝心な助けを求める声が“酔いつぶれて唸っている酔っ払い”程度にしか聞こえないのです。
冷静になって考えると、ドアはロックしてあるし部屋の明かりは消えている。

部屋から聞こえてくる音も声も無い、

これでは“留守です”と言ってる様なものです。

当人は必死で叫んだいるつもりだが“寝言”程度にしか響いてないのでしょう。

この業者の人が何度か顔を合わせた懇意な方なら、かすかな音でも聞こえればドアに耳を近づけて中の様子を知ろうとしたかも知れない。残念ながらこの方とは初めて会うのです。

それでも数回、間をおいてドアをノックしてくれたのだが、具体的な返事を得られなかったので、諦めた様に足跡が去って行きエレベーターのドアが開閉する音が遠くかすかに響いていた。助かるチャンスが…

つづく

06

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