歴史の勉強 衣服の変化 平安時代~鎌倉・室町時代
「平安時代」
日本人としてのプライドが芽生え、遣唐使の廃止などにより、日本独自の文化が栄えるようになりました。
ゆったりとした衣服が好まれるようになり、十二単や束帯(そくたい)へと移行。
日本人ならではの感性で色を重ね、季節感を表現する重ね着の風習が生まれるなど、和風文化を作り上げる時代に入りました。
※絵は「きもののたのしみ 改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より
一方、庶民は服装は筒袖の動きやすい丈の短い着物を着ていました。
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*およそ400年続いた平安時代ですから、その間にもきっと変化はあったのではないでしょうかね。。。
〔アクセサリー〕
ところで、アクセサリーについてですが、日本人は古代にはネックレス、イヤリング、指輪、腕輪を持っていましたね。遺跡などから発掘されているのをご存知ではありませんか。日本人はこのようなアクセサリーをすべて持っていたし、知っていたのに、平安朝以降は持っていないのです。それは、なぜでしょうか?
その事が樋口清之先生の本に書いてあるのでご紹介したいと思います。
十二単という衣装。これは仕立てがきれい、生地が複雑、装飾過多。全身のすべての装身具的要求の要素が、すべて衣服に吸収されてしまったので、必要がなくなったというわけです。
洗練され、選ばれて、アクセサリーはとうとう消えていった。着物というものは装身具的要素をもった衣服であるから、その上にアクセサリーをつけるのは、重複した装身法になる。(「装いの文化」からの内容抜粋なので、ニュアンスが多少違う事もあるかもしれません。)
私はこれ以上重いものをつけたくないからじゃないんですか~?と言いたいですが、そんな事を根拠もなく言ってはいけませんね。失礼致しました。。。
〔化粧〕
また、化粧についても樋口節炸裂です。
「装いの文化」装道出版局より抜粋(先のアクセサリーの記述と同じ本)
・・・たとえば平安朝華やかな頃、宮廷の女性はみんな眉毛を抜いて、顔はまっ白におしろいを厚化粧していました。唇までおしろいで消し、髪の毛はあくまでも黒く、長く、顔の三方をおおい、体には極彩色のきものを着ていました。ずっと上の方に引き眉を引き、紅はわずかにほほの両端につけるだけです。
平安朝の宮殿はほの暗く、源氏物語を読むと、源氏の君はそういう装いをした女の所に通っていたようです。
女が宮殿から下がってくるのを、源氏の君は廊下の陰に隠れて待っています。
やがてきぬずれの音と共に現れた女を見ると、ほの暗い中に、におうばかりのかんばせが浮かぶ、(ここで「におう」というのは「光る」という意味です)、白くパッと光って見えた、ニヤッと笑うと、歯はまっ黒に染めてある、眉毛はなくてのっぺらぼう、唇もない、しかも、あたりはほの暗い、今ならまさに怪談の世界です。・・・(抜粋以上)
樋口先生の人柄を感じるこういうところが私は好きです。リアルな描写にドキドキしました。
〔女性は太陽から奥へ〕
平安朝のような生活では、身動き一つが大変ですね。女性を圧迫し、元始太陽であった地位がこの時代から、ついに「奥様」と呼ばれるようになったのだそうです。庇(ひさし)を深々とたれ、薄暗い宮殿の中には濃い化粧をし、極彩色の着物を着て、女性は宮殿のアクセサリーの如く身動もままならないような格好で奥に押込められてしまってたようにも見えてきます。
〔平均寿命〕
日本の歴史の中で、呼吸器疾患が一番多かったのが、この平安時代だったのだそうです。平安貴族の女性の平均寿命は27歳といわれます。男性の平均寿命は32歳。今とは違い、男性の方が長生きですね。
当時の人々は、54%が肺結核、20%がかっけの衝心、10%が皮膚病だったとのこと。
当時の京都の町は寒冷期で、風邪もひきやすく、結核にかかる人も多かったのでしょうか。寒冷期であったことがが呼吸器の疾患が多かった要因の一つであったかもしれません。
〔健康状態〕
食べ物は乾燥食品がほとんどだったため、関白様でも栄養失調の状態だったそうです。しもぶくれで、はれたような顔をしているのはそのための浮腫みだとか。
〔藤原氏→平家→源氏のわけは栄養状態にあった〕
このように、京都に都を構えていた藤原氏は栄養失調で不健康なところへ、健康な平家が伊勢の国から台頭してくるとたちまちやられてしまい、平氏に独占されます。その平家が京都に住み着くうちに、藤原氏の生活を真似、不健康な状態になっていたところに、関東の栄養のいい源氏がやってきて叩き潰す。
このようなことであったようでございます。
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鎌倉・室町時代
武家の時代・戦乱の世となり、動きやすい身軽な服装へと変わっていきます。
※絵は「きもののたのしみ 改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より
平安時代には、貴族に仕えていた武家や庶民は、日常生活においては小袖を身につけていました。時代の経過とともに、それが主流になってきました。