着物を着たい時に着られるようになった感謝 

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私にとって、着物というのは遠い憧れの物でありました。
育った家は裕福ではなかったし、商売をしていて、母も祖母もおしゃれを楽しんだり、まして、着物を楽しむという環境では全くありませんでした。
祖母は大正の生まれでしたから、考えてみると着物にもんぺ姿だったことも多かったように思い出します。
しかし、山形の田舎ですから、目立つような格好はせずに、地味なものでその姿に憧れをもったという記憶は残念ながらありません。
むしろ、そういう状況だったからこそ、余計に着物への憧れが膨らんだのかもしれません。
お中元やお歳暮の時期には着物姿で訪ねてくれる親戚のおばさんが1人だけ居ました。とっても綺麗だなぁと思っていました。 それから、テレビに出てくる着物姿の女性に美しさを感じました。

着物そのもののことはよくわかりませんでしたが、
あの着物のシルエットと着物を着たときの独特のしぐさにとっても惹かれる気持ちがありました。
着物には程遠い生活ではありましたが、寝間着は浴衣だったし、夏まつりやお墓参りの時には浴衣を着せてもらって嬉しかったのをよく覚えています。
浴衣とは違う「着物」というものは高価なもので、私には縁のないものと思っていましたし、顕在意識としては、それほど特別に興味を持っていたわけでもないように思います。
ところが、高校を卒業すると、なぜか私は住み込みの和裁所を選んで入所したのです。
紆余曲折ありましたが、縫っていても着るということがわかっていないから、着物を着られるようになりたいと思っていて、結婚し、一子を出産した後に着付けを習い始める事になりました。
曲りなりにも着物が縫えて、着物を自分で着られて、人にも着せて上げられるようになっていました。
本当は、ただ、自分で着られるようになればよかったのですが、着付け教室のシステムにいつの間にか乗っていて、着付けの試験を受けるのに練習したり、勉強したり、東京へ出かけて行ったりしている自分に、私は何をやってるんだろうと思いながらも、しばらく着物を学ぶ時間をいただくことができました。
着物は持っていないから、はじめは練習用の化繊の着物などを教室から斡旋してもらい、着られるようになると嬉しくて、できるだけ着物を着ていたら、祖母や母の着物が手元にやってきて、やがて、周りの方からも、着なくなった着物が少しずつ集まってくるようになりました。
そんなわけで、今はたくさんの着物に囲まれて、ワードローブに普通に着物があり、うさとがあり、ヂェン先生の服があるという環境になっています。
今では、きょうは着物を着ようと思ったら着物が着られるような、私にとっては思いがけない夢のような幸せをいただいています。
大切な着物、高価な着物も、着ないでしまっておくよりも活用して欲しいとおっしゃって、託して下さったお気持ちに応えられるよう、感謝を込めて精進していきたいと思っています。
これらの着物は、私ももちろん着せていただいていおりますし、着物ファッションショーの時にも活躍しました。
外国に行った着物達もいます。多くの外国人の方に着ていただいて喜んでもらえるような機会も与えられました。
素晴らしい着物の仲間にも出会えました。
着物を通して喜んでいただけることは、私にとっても大きな喜びです。
このような幸せを与えていただいていることに心から感謝しています。

hoianarito

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