9月 単衣の季節
もう、遠い昔になってしまったので忘れかけているんだけど、
中・高時代の制服の衣替えって・・・
夏服になるのが6月で冬服になるのが10月でしたっけ?
着物の着付教室でならった着物の衣更えをおさらいしてみると、
*6月/単衣
*7,8月/うすもの
*9月/単衣
*10~5月/袷 でしたね。
ということは、
*単衣・うすものの季節・・・夏服(6月~)
*袷の季節・・・冬服(10月~) ということなのですね。
ということは、学生服の衣替えは、日本の季節感に合わせてあると考えていいのでしょうか・・・
ところが、実感されている方もたくさんいらっしゃると思いますが、本来袷を着るという5月でも袷を着るには暑いと感じたりといった事がありますよね。
今年(2015年)の8月末はうすものの季節といっても、やや涼しく感じる日もありました。
このごろは、月ごよみや二十四節気を生活に取り入れる人が増えて来たように感じますが、衣替えを考えるのに、「明治改暦」という施策があったことを心に留めておいたほうがいいのかなと思います。
明治政府は
明治5年11月9日(1872/12/9)に改暦詔書をだしました。
12月2日までで明治5年は終わり、
その翌日は明治6年1月1日というわけです。
時刻法も一日十二辰刻制から一日24時間の定刻制にすると伝えました。
布告から施行まで23日。なんという無茶ぶり。
明治6年というのは旧暦で閏月があったため、1年が13ヶ月あるはずだった。
表向きは欧米に追いつけ追い越せと、脱亜入欧の為。それも本当の理由であったかもしれませんが、もう一つの本音は、その年の公務員の給料を、2日だけだった明治5年12月分と翌年の閏月の分をまるまる節約しようということだったのでは、とも言われているようです。
当時の人たちは、どんなに大変な思いをしたことでしょうか。。。
*12月に入ったと思ったら3日目には新年正月で、餅つき。
*晦日に月が出るようになった。
*種まき、収穫の時期の見当がつかなくなった。
*季語を命とする詩歌・俳諧の世界の大混乱。
*鉄道の時刻に関して大変な影響があったようです。
私たちが現在持っている着物のイメージや、教えられる着物の常識というのは、
どの時点のどの範囲、どのようなシチュエーションにおいて重んじられるべきなのかという疑問がないわけではありません。
このような無茶苦茶な政策があり、また、着物の概念も変わり続けているわけです。
柳田国男著「木綿以前の事」という本をみるとおもしろい記述がたくさんあります。
運動や作業に不向きな今私たちがイメージするような着物は、働く必要のなかった一部の人の着物であったが、それに憧れた人が真似する内に着物が複雑な方向へ行ってしまった。
・・・このようなことは、想像に難くないですね。
そうだとすると、いろいろ習った着物の常識という物に対してもう一度、自分の立場や思いをあわせて、考え直してみる価値はありそうです。
因みにブータンでは、日本の着物に良く似た「呉」という男性の民族衣装がありますよね。
ブータンも四季のある国だそうで、「呉」に単衣や袷があっても、衣替えというのはないそうです。
中に着るものも自由で、日本のように様々な決まりはなく、好きなように着ていいのだそうです。