着物姿での長時間移動
2007年10月のできごと。
バスで行った京都旅行の事を私は記録していました。
ベトナムに住み、写真家としても活躍している勝恵美さんが、帰国して京都で写真展をなさると聞いて出かけたのでした。
ベトナムの写真展だから、ベトナムの帯を締めて出かけたいと思いました。
そのベトナムの帯というのは、オリジナル一点ものです。
ベトナムに滞在した2005年暮れから2006年の一ヶ月。
いろいろなすばらしい体験をさせていただいたのですが、これもそのときに与えられたものの一つです。
私が滞在させていただいたのは、ベトナムはハノイでした。
ハノイ近郊に通称「シルク村」というところがあって、そこで購入したシルクに、今度は通称「刺繍村」というところに連れていっていただき、「ベトナムの赤い花」と笠「ノン」をデザインして刺繍してもらったのです。帰国直前に再度刺繍村に行ってお願いしていた刺繍のほどこされた布を持ち帰り、日本に帰ってきてから、その布に芯を入れて仕立てました。
刺繍して欲しい位置と方向と大きさを指定して、手持ちの帯を持って行って友人に通訳してもらいながら、事情を説明したのです。
本当に、いろんな方のお世話になりながら、このような事ができたこと、改めてすごいことだったのだなぁと感動してしまいます。
今では、お気に入りのそのベトナムの帯、お世話になった一人ひとりに締めた姿を見ていただいてお礼の気持ちを伝えられたらと思います。
この時に、その帯を山形から締めて、一晩バスに揺られて朝の6時過京都に着き、その日の夜9時過ぎのバスに乗って帰ってくるという強行でした。
皺が心配でどうしようかとずいぶん迷ったけど、考えていたら時間がなくなってしまって、結局その帯を締めバスに乗り込みました。
それで、結果としては問題なかったのです。皺にならないようにと気にしてはいましたが、具体的になにをするというわけでもありません。
お太鼓なら、別に普通にしていて大丈夫だということがわかりました。
それから、苦しくなかったのかと思われる方も多いのではないでしょうか。それから、着崩れはなかったのかとか。
この後、何度もこのようなことを経験しました。
この時は苦しさは特に問題ありませんでした。2014年3月にハワイに行ったときにも、日本から着物を着て出かけました。
何度も着物姿での長距離移動をやっていると、ごくまれに苦しいと感じることもありました。
体調などによるのかもしれません。そういうときは、帯や紐をゆるめたり、それから、使っている伊達締めや紐を、ぐっとへその方に落とし込んであげると楽になります。
自分で着付ができると、ぐしゃぐしゃになっても直せると思うので、これまであまり問題がなかったのかもしれません。
いまさんのイラストに、着物姿でうたた寝の姿があったのを思いだします。
着物って、思うほど窮屈ではないということはお伝えしたいことの一つです。
ところが、全く着物を着た事がない女の子に着物を着せたりすると、それほど締めたわけでもないのに、すぐに苦しいといったりするんです。
それは、紐を使うという感覚に慣れていなかったり、着物は苦しいものだという思い込みのせいもあるのではないかなぁと思ったりしています。
自分で心地いい締め加減を知ってしまえば、締めることは苦しいのではなく、むしろ、気持ちがいいものです。
ただ、体調の良くない日は締めない方がいいこともあるかもしれません。
着崩れについては、お着付け教室でならった通りの仕上がりの形を変化させない事は無理だと思います。
これは、何も夜行バスに長時間乗る場合だけでなく、普段に着ていても、少なからず着崩れはするものだと思っていていいのではないかと思います。
たぶん、腕のいい仕立て屋さんがピッタリと縫ってくれた着物を、適切な補正をして着物を着たとしたら着崩れは比較的少ないかもしれません。
しかし、私の場合、自分サイズに合わせたお誂えの着物はほとんど持っていないし、補正もほとんどしておりません。基本的に崩れたら直すということが当たり前と思っているふしがあります。また、あまり完璧を目指していないとも言えると思います。
あるとき、お祭りに彼とゆかたで出かけるのに、着付をお手伝いさせていただきました。
「帯は崩れるものなので、時々お互いチェックしてね。」と送りだしました。
そしたら、そのあと会ったときにこんな風におっしゃってくれたんです。
「お互いに帯が崩れていないかを確認したりする、着物ならではのコミュニケーションがとても新鮮だった。」
お互いを思いやる心を感じたそうです。本当に嬉しい言葉でした。
2007年の京都行きに話を戻すと、バスで一晩過ごして、まもなく到着するときに座席で髪のピンを外してまとめ直しました。
それから衣紋の抜きを確認して、おはしょりを整えました。それだけです。
写真をこうやってみると、背中の皺ももう少し直したほうが良かったかなとも思いますが、これは、次の時から気をつけるようにしました。
いつでも完璧でなければならないわけではないでしょう?
さらに良くはなりたいけれど、私のいいところはあまり完璧にこだわらない事かな。
カウンセリングスクールでも習いました。今のままの自分で大丈夫。「I’m OK.」実践中です。
着物に詳しい人が近くにいて、そっと直していただいてラッキーという事もありますが、着物は完璧に着なければならないという思い込みは外していいのではないでしょうか。
それが、着物をより遠いものにしてしまっているといえるかもしれません。
崩れたら直せばいいし、細かなルールも間違いながら覚えていけばいいと思うんです。
人生だって失敗したら、そこからやり直せばいいんですよ。
その方が味わい深い生き方ができるというものですよね。
ね、着物って奥が深いでしょ。
帰りは、京都タワーで少し買い物をした折、目立たないところでベトナム帯を解いて、サッと細帯に締め直して帰ってきました。
この細帯は日暮里の問屋街で洋服地に芯を入れて仕立てたもの。
こちらの方はずいぶん気持ちが楽でした。枕や帯揚げ、帯締めも要りません。
肩の力を抜いて着物を楽しめたらいいですね。
ワードローブの中に着物というアイテムがある感じ。
いいと思いませんか?
(小さな写真は左からベトナム刺繍村、シルク村の蚕、シルク村での伸子張り)