歴史の勉強  衣服の変化 旧石器~弥生時代

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旧石器時代

大陸から獲物を追ってきた人々が住み着きました。北方アジア圏の文化であるズボンをはいていたと見られます。

p83石器時代※「装いの文化」樋口清之著(装道出版局)より

弥生時代

稲作農業がはじまり、だんだん腰巻文化にはいります。

上着は、「貫頭衣(かんとうい)」。頭を通して着たら、後ろと前とを合わせて紐でくくります。

帯の結び方も「縦片輪結び(たてかたわむすび)」という日本結びです。

p84弥生時代 ※「装いの文化」樋口清之著(装道出版局)より

「貫頭衣」が変化して着物になった。

貫頭衣2

※絵は「きもののたのしみ 改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より

        ↓

貫頭衣3

※絵は「きもののたのしみ 改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より

袖がつくと、着脱しにくくなります。だからといって、前をあけてしまうと落ち着かないし、寒いですね。

        ↓

貫頭衣4

※絵は「きもののたのしみ 改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より

そこで、前が重なり合うように布をつけた。

これで、今に受け継がれる着物の形になりましたね。

稲作のはじまった弥生時代から時間が進むと、次は大陸の文化の影響を受けた古墳、飛鳥・奈良時代に進みます。男性の着るものは盤領(あげくび)になりました。

(盤領(あげくび)・・・学生服みたいな衿/垂領(たりくび)・・・着物のような衿)

しかし、これは 身分の高い人の着ていたもので、庶民はきっと、上に示したような小袖スタイルになっていたのではないだろうかと思います。

次に来る平安時代は遣唐使を廃止し、鎖国の時代に入り、日本らしい文化をつくり上げていく時代になります。十二単の時代ですね。「十二単」の一番下に肌着として着るのが「小袖」です。また、男性の正装「束帯(そくたい)」でも肌着として「小袖」を着用します。それが、時代を経てだんだん上に着られるようになってくるのですね。

・・・・・・・ミニ知識・・・・・・・

「おくみ」

衣服の前身頃に重なりをつけるために足した布のことを「衽(おくみ)」といいますね。

この言葉の「おく」というのは、日本の衣服の仕立ての技術で「つける」という意味。

だから、袖口だけ別の布をつけると「おき口」、別衿をつけると「おき衿」といい、

「おく身」というのは、身頃につけた付属の布という意味になります。

「つま」

この「おくみ」の端っこを「褄(つま)」といいますが、「つま」とは、端っことか付属品という意味があるそうです。

昔は男性の方を「つま」といったとか。女性は元始太陽であり男性は付属品だったということでしょうか。

「つま楊枝」も親楊枝がなくなって、つま楊枝が残ったもので、刺身の「つま」も刺身の付属ですね。

*「稲妻」の語源を調べると、「稲の夫(つま)」の意味から生まれた語。と書いてあります。

稲光のことを稲妻といい、昔の人は雷が多いと豊作になることを知っていて、雷の光が稲に当たると稲が妊娠して子を孕む(はらむ)と考えられていたとのこと。
ちなみに、雷は「神・鳴り」で、ゴロゴロという音の方をメインに表す言葉なのだそうです。

日本語っておもしろいですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「弥生時代/衣服に男女の違いがあらわれる」

p101農耕男女に違い※「装いの文化」樋口清之著(装道出版局)より

上に着るものを「衣(きぬ)」といい、

女性は下にスカートにあたる「裳(も)」をつけ、

男性はズボンにあたる「褌(はかま)」をつけた。

(褌・・・ふんどしと読むのは間違いで、はかまと読むとあります。)

石器時代にはズボンを男女とも着用していたわけですから、女性の服装が進化したと言えるでしょうか。

女性が「衣裳(きぬも)」、男性が「衣褌(きぬばかま)」となり、上着と下着にわかれ、男女によって形が違ったという事は、文化の前進です。

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