「きものの柄より」~トンボ~

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着物の柄のこと

きょうは、トンボ柄について紹介した後、着物の柄の発生と流れについて少しお話したいと思います。

トンボは「勝ち虫」と呼ばれています。
昔から縁起物とされていて、目標に向かって前進するという意味を持ちます。

何か勝負事を控えている方や、目標達成をしたい方はトンボ柄の物を身につけてみてはいかがでしょうか。

日本人は季節やその変化を楽しみ、また身近な様々なものを着物に移して楽しむ文化を作って来ました。

着物のプロフィール

〔貫頭衣に袖がつき、おくみがついた〕

弥生時代に稲作が始まると、労働にふさわしく、気候にあった通気性のよい服として「貫頭衣」が着られるようになり、女性は腰に「褶(ひらみ)」と呼ばれる布を巻きました。

「貫頭衣」に袖がつくと、着脱が難しいので、前をあけることを考えます。

そうすると、寒いし落ち着かないので、前身頃に布をおく、おく身(衽)がつけられるようになって、着物の形が出来上がって来ました。

〔719年衣服令から衿の合せは引き継がれている〕

弥生時代には既に身分の差があったようです。庶民はこのような服を着ていたのだろうと想像できますが、位の高い人たちは豪華な衣装を楽しみ、衣服文化が進化してきました。

大陸の影響を受け、あげ首と呼ばれる服を着ていた時代、衿の合せは左前でしたが、719年2月3日、元正天皇が「衣服令」を出し、今と同じに 自分の体に対して  右側を前に着る「右衽(うじん)着装法」が用いられるようになりました。

?誰ですか。「男性と女性で合せ方って違うんじゃないの~!?」って言っている方は。。。

着物はこの時代から、男性も女性も「右衽(うじん)着装法」で着用しています。

右手が衿元に入り易い合せ方です。

遣唐使を廃止し、鎖国の状態に入った平安時代の十二単に見る、色の重ねで季節感を表現するという日本人らしい感覚が衣服にも取り入れられてきます。この十二単の一番下に下着として着ていたのが「小袖」です。これが、だんだん上に着られるようになって、今の着物となっています。

白小袖に風景を入れ、揺れ動く風情を楽しんだ

ですから、小袖は「白小袖」というくらい真っ白でした。

戦国時代を経て、泰平の時代になると白い小袖に色をつけるようになりました。

秀吉が天下統一をし、平和な時代が訪れると今度は小袖の上に模様を付け出します。

身体を動かすとゆれ動く木や、熨斗など、動きを対象とした図案を描きました。

〔小袖幕〕

宴会をするときには、野外になわを張って小袖を連ね楽しみました。

これが自慢となって、おのおの工夫し新しい模様を考えて注文する。

滝が落ちている姿、川が流れている姿、動く車に花・・・

自由画を着物に描いて楽しんでいた日本人。

柄に意味をこめて装う文化、ちょっと素敵だなと思いませんか。

ぼちぼちつづく。かも

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※写真はグーグル画像検索より

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