歴史の勉強  時代背景と衣服の特徴①

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和暦と西暦

日本では今も和暦(元号・年号)と西暦が使われていますが、元号が初めて出てくるのは「大化の改新」(645年)の「大化」です。

時代の流れでいろいろな元号を決めるルールは変わってきたようで、新天皇のご即位時に改元する「一世一元の制」になったのは、明治以降からのようです。

そういうわけで、縄文・弥生などの古い時代の元号のように感違いしそうな言葉は、そのときの特徴を現すために、現代になって便宜上つけたものだと理解しておけばいいのではないでしょうか。

「旧石器時代」〔BC200万年~BC1万4000年〕

 狩猟・漁労の生活

時代の概要

日本人はどのように出来上がってきたのかと調べると、旧石器時代にさかのぼるんですね。

大 昔、日本列島は大陸と地続きで、ナウマン像、北からはマンモスもやってきて、それを追う人間も日本列島にやって来た。その後、氷河期が終わって今の日本列 島の形ができ、獲物を追ってやってきた人間は大陸に帰れなくなり住み着いた人たちが日本人のご先祖様だということです。

服装の特徴

この時代の服装は、まだ着物の原型とはいえません。動物の毛皮を着ていたという資料もありますし、また、動きやすいズボンと上着を着ていたとするものもあります。この時代は服装に男女の違いはなかったというのも特徴の一つであるようです。

 「縄文時代」〔およそBC1万4000年~BC300〕

 狩猟・漁労・植物採集食文化

時代の概要

穀 類・豆類・野菜・果実・魚・肉などを食べていたことがわかるようです。人々は協力しあい、豊かな生活をしていた様子です。縄文時代 中期の土偶「縄文の女神」は、ここ山形県で発掘されましたよ。全身の高さは45センチある大きな土偶です。(平成24年4月に国宝指定)各地でこの時代の土器や土偶が見つかっています。

服装の特徴

土偶などから、服装なども想像できるので、生活ぶりなどがわかるリアルな絵がついて解説してあるサイトもネット上に見ることができます。それをみると、既に貫頭衣や袖のついたもの、防寒にふさわしい美しい衣服などもみられますが、衣服に関する記述のある文献に辿っておりません。

「弥生時代」〔およそBC300年~AD250年〕

 農耕生活の始まり

時代の概要

い よいよ農耕生活が始まりました。朝鮮半島から伝わったようです。また、大陸から青銅器や鉄器・ガラス・布が伝えられ、日本でもつくり始められました。 専門技術者が生まれて、身分の上下が生じ始めたというようなこともわかるようです。卑弥呼が中国の魏に使いを送ったというのもこの時代ですね。村ができて いて、村人は協力し合い、稲作を中心にしたリズムで暮らしていたといいます。食料を備蓄できるようになり、高床式の倉庫も作られています。

服装の特徴

この時代に、貫頭衣(かんとうい)が着られていたとされます。根拠は3世紀に書かれた中国の歴史書「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)に、日本人が着ていたものが記録されていることです。この時代には、男性と女性の服装に違いが見られます。「貫頭衣」という袖なしの服をきていたのは女性。男性は「巻布衣(かんぷい)」という一枚の布を体に巻きつけていました。(でも、本当はもう少し衣生活も豊かだっただろうと私は考えます。この時代の括りが、およそ600年間ありますから、きっとこの時代の内にもいろいろ変化があったに違いありません。)

身分によって着るものが違っていたこともわかっているようです。

「古墳時代」〔およそAD250年~AD592年〕

 大陸から優れた文化が入ってきた

時代の概要

天皇をはじめ、勢いのある豪族たちがたくさんの古墳をつくりました。中国や朝鮮とも盛んに交流し、優れた文化を取り入れようと努力し、帰化人によって、文字・儒教・建築・鍛冶・織物・養蚕などが伝えられました。

氏姓制度(大和朝廷の政治や社会のしくみ)で氏集団の結束が固められました。

服装の特徴

弥生時代後期から古墳時代にかけて、下半身に男性はズボンのようなもの、女性はロングスカートのようなものを着用するようになっていました。

古墳時代後期には衣服にも大陸の影響がみられます。この時代の衿あわせは左前。これを「左衽着装法(さじんちゃくそうほう)」といいます。

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